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1942年 |
旧満州遼陽生まれ |
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1965年 |
東京工業大学理工学部電子工学科卒業 |
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1967年 |
東京工業大学大学院理工学研究科電子工学専攻修士課程修了 |
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1967年 |
仏モンペリエ大学理学部固体電子工学研究センター留学 |
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1971年 |
東京工業大学大学院理工学研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士 |
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1971年 |
日経マグロウヒル社(現日経BP社)入社 |
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1979年 |
『日経エレクトロニクス』編集長 |
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1990年 |
『日経エレクトロニクス』発行人など |
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1994年 |
日経BP社調査開発局長 |
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1995年 |
日経BP社編集委員 |
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2002年 |
東京大学大学院工学系研究科電気工学専攻 教授 |
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2003年 |
同上 定年退官 |
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2003年 |
大阪大学 特任教授 |
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2004年 |
国立大学法人東京工業大学 監事 |
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2005年 |
早稲田大学 客員教授 |
・略歴追補
1942年に中国(旧満州)で生まれました。帰国は1946年です。死線をさまよう帰国の旅だったようです。実は私自身には記憶がありません。亡母が著書『旧満州遼陽郊外』(西村操著、花神社、1991年、絶版;再編集私家版、2003年)に、このあたりの状況を記しています。
帰国の際に陰に陽に助けてくれたのは親しくしていた中国人だったそうです。いわゆる「学校出」の日本人高位高官への不信感を、両親からさんざん聞かされて育ちました。そのせいか私は中国を相対化しにくいところがあります。中国の発展を喜ぶ気持ちがあり、「日本にとっての脅威」ととらえる感覚があまりありません。これがときに悶着の種となります。
帰国後、亡父は深川木場で製材所を経営します。しかし私はあとを継がず、結局「学校出」への道を進んでしまいました。
学部卒業は1965年(昭和40年)。東京工業大学の電子工学科を出ております。ただし当時の東京工業大学には、人文関係併習課程という制度がありました。後に文部大臣になられた永井道雄先生やKJ法の創始者川喜田二郎先生がまだ助教授のころです。学部時代の私は、永井先生や川喜田先生の研究室に入り浸っておりました。自覚的には私は半分以上人文関係卒です。
大学院に進学し、末松安晴先生(後に東京工業大学学長)の研究室に所属しました。いただいたテーマはマイクロ波半導体デバイスや半導体レーザーです。
博士課程在学中にフランスに留学します。行き先はモンペリエという南仏の大学町。しかしです。ときは1967〜1968年、フランスはいわゆる「5月危機」を迎えます。チェコに友人を訪ねて「プラハの春」にも遭遇しました。帰国した日本では、東大も東工大も大学紛争です。
なんとか学位をいただいて大学院を修了したのですが、世界史的な大事件を渦中で経験したせいか、ふつうの研究者を続けることに抵抗を感じるようになっていました。おりからエレクトロニクス分野の技術雑誌の創刊計画を知ります。日経マグロウヒル社(後の日経BP社)という出版社に入って、『日経エレクトロニクス』の創刊に参加し、以後この雑誌の編集に携わる──これが私の職歴の中核となります。『日経エレクトロニクス』の編集職場には20年おり、後半の11年半は編集長をつとめました。
その後数年、日経BP社の経営管理職的な仕事に従事します。けれども妻の病気や両親の介護問題などから非常勤にしてもらい、7年ほどは事実上フリータでした。この間に、要介護状態となった両親のための施設を探しました。その過程で、老人ホームは病気がちの妻にも有効であることに気づき、私たち夫婦も両親と同じ老人ホームに入ってしまいました。
両親はすでに亡くなりました。けれども私たち夫婦は相変わらず老人ホームの住人でもあります。私自身はもっぱら週末の別荘として利用しています。場所は八王子郊外、五日市に近いところです。温泉なみの広い風呂があり、自前の別荘と違って食事が出ます。パソコンをおき、ADSL回線を引いて、ブロードバンド環境を確保しました。トフラーが『第三の波』に可能性を記した electronic cottage は現実です。
2002年2月から東京大学教授を経験しました。両親も妻も医療の専門家の眼が届くところで暮らす環境が得られたため、フルタイムの勤務でもなんとかなるだろうと判断したためです。ただし2003年3月末には早くも定年退官。400日ほどの東大教授でした。
東大定年後はまたフリータに戻りました。著作・講演のほか、かなりの数の大学の特任教授、客員教授、非常勤講師をさせていただいております。また古巣の日経BP社では非常勤顧問・編集委員です。さらに2004年4月からは、法人化後の国立大学法人東京工業大学で非常勤監事をつとめています。役員会に毎週出席し、複数の大学を相対的に比較しながら、東京工業大学のあり方にコメントを言う──こんな感じの仕事をしております。
近年の私の関心事は大きく分けると三つでしょうか。
一つは半導体産業を中心に、エレクトロニクスを産業的な視点から考えること。この分野の著作に『半導体産業のゆくえ』(丸善、1995年)、『電子工業50年史』(日本電子機械工業会、1998年)があります。二つ目は、いわゆる情報化に伴う産業や社会生活の構造変化を考え続けています。これについては、古くは『硅石器時代の技術と文明』(日本経済新聞社、1985年;増補改訂版、開発社、1996年)、最近は『情報産業論』(放送大学教育振興会、2004年改訂)などを書いてきました。もう一つ、研究開発のあり方を歴史も含めて考え直す作業を続けています。『中央研究所の時代の終焉』(日経BP社、1998年、翻訳)や『産学連携』(日経BP社、2003年)、『MOTテキストシリーズ 産学連携と技術経営』(丸善、2005年)などが、この関連の著作です。
●単行本(単著)
『硅石器時代の技術と文明――LSIと光ファイバーがつくる“新農耕文化”』、日本経済新聞社、1985年(改訂増補版、開発社、1996年)
『半導体産業のゆくえ――メディアルネサンスの時代へ』、丸善、1995年
『情報産業論』、放送大学教育振興会、2000年(改訂版2004年)
『産学連携──中央研究所の時代を超えて』、日経BP社、2003年
●単行本(編著、共著、翻訳、監修)
『エレクトロニクス・イノベーションズ』、日経マグロウヒル社、1981年
『1990年代のエレクトロニクス』、日経BP社、1990年
『変革の時代』、開発社、1995年
『テクノロジー・ワンスモア――エンジニアが語る技術と産業の未来』、丸善、1997年
『新・日本産業』、日本経済新聞社、1997年
『電子工業50年史』、日本電子機械工業会、1998年
『中央研究所の時代の終焉―研究開発の未来―』(訳書)、日経BP社、1998年
Femtsecond Technology、Springer-Verlag, 1999
『デザインプロセスイノベーション』、日経BP社、2001年
『<MOT事例研究>注目先端技術 成功の理由』、工業調査会、2004年
『MOTテキストシリーズ──産学連携と技術経営』、丸善、2005年
●主な学会論文
SUEMATSU, Y. and NISHIMURA, Y., “Wave Theory of the Negative Resistance Element due to Gunn Effect, "Proc. IEEE(Letters), vol.54, no.2, pp.322-324, Feb. 1966.
末松安晴, 西村吉雄,「負性抵抗形のガン効果発振器の解析法に対する一提案」,『電子通信学会誌』、第50巻, 第1号、pp.94-98, 1967年1月.
NISHIMURA, Y., "Effect of the Field Dependence of the Diffusion Constant on Small-Signal Behaviour of Bulk Negative-Mobility Devices," Electronics Letters, vol.4, no.12, pp. 249-250, 14 June 1968.
NISHIMURA, Y. and NISHIMURA, Y., “Spectral Hole-Burning and Nonlinear Gain Decrease in a Band-to-Level Transition Semiconductor Laser,”IEEE J. Quantum Electronics, vol.QE-9, no. 10, pp.1011-1019, Oct. 1973.
NISHIMURA, Y.,“Electron Scattering Times in GaAs Injection Lasers,” Japanese J. Appl. Phys., vol.13, no.1, pp.109-117, Jan. 1974.
西村吉雄,「情報化社会の基礎研究」,『応用物理』、Vol.60, No.4, pp.308-309, 1991年4月.
西村吉雄、「産業構造の変化と研究開発システムの再構築」,『研究 技術 計画』、Vol.12, No.1/2, pp.32-37, 1998年10月25日発行.
「いまなぜ産学連携か」、『映像情報メディア学会誌』、vol.55, no.7, pp.969-972, 2005年7月号.
●学協会・国際会議などにおける発表(最近の主なものに限定)
“Industry of 2000's and Roles of Electronics and Optoelectronics”、International Workshop on Femtosecond Technology 1996、1996年2月
“Structural Change and R&D in Japanese Electronics Industry”、15th Symposium on Future Electron Devices、1996年10月
「電子情報産業の構造変化とLSI産業へのインパクト」、電子情報通信学会・LSI設計技術の未来を考える琵琶湖ワークショップ、1996年11月
“Structural Change in Industry and Reorganization of Japanese R&D”,日欧産業協力センター、1997年7月
「STSは企業の技術者を巻き込め」、STS国際会議、1998年3月
「産業構造の転換と新しい研究開発モデル」,電子情報通信学会98年総合大会エレクトロニクスソサイエティプレナリーセッション特別講演、1998年3月
「イノベーションと研究開発型ベンチャー企業」、日本ベンチャー学会、1998年9月
“Industrial Structure and Semiconductor Applications in the Age of Networking”, ISS Japan, SEMI、2000年2月
「メディア・ルネサンス」, メディア情報学会メディア総合研究部会、2001年1月
“Engineering Intellect× Techno-entrepreneurship”, The Takeda Symposium, Uppsala, Sweden, June 2002
Chair, "Strategic R&D in Global Competition", The 6th International Conference on Technology Policy and Innovation", Keihanna, Aug. 2002
「積の評価はいかが──技術評価への一提案」、NEDOフォーラム2002、技術評価セッション、2002年9月
“Proposal of the System Platform──A Semiconductor Business Model for the Age of Digital Consumer Products (Invited)”, Session 1-2, The 2003 Symposium on VLSI Technology, Kyoto, June 2003
「大学と企業、共同研究の現状」、電気学会アナログVLSIシンポジウム、2004年4月
「いまなぜ産学連携か─企業の研究開発の視点から」,科学技術社会論研究会、2004年5月
「博士課程の悪循環──産学連携の視点から」、科学技術社会論学会緊急シンポジウム(研究者のキャリアパス)、2004年7月
●その他(1) 調査報告など(最近の主なものに限定)
「半導体の来し方行く末」,『21世紀エレクトロニクス技術に関する調査研究報告書T』, 日本電子工業振興協会, 1993年3月.
"Structural Change and New Business Models for the Semiconductor Industry," BUSINESS BRIEFING ASEAN: Semiconductor Manufacturing Technology, World Market Research Centre, London, 1998、pp. 14-17.
「産業構造の転換と新しい研究開発モデル」,『電子工業月報』、1997年11月号, pp.2-11.
『INSECの歩み』、半導体国際交流センター、2000年3月.
「─知と起業家精神の新結合─武田賞の理念と21世紀の研究開発モデル」、再生シナリオ検討プロジェクトチーム、『構造改革の先に目指す日本の姿─日本経済再生シナリオ─』、内閣府、2001年11月22日.
●その他(2) 商業誌紙掲載論文(最近の主なものに限定)
「情報社会は階層化する」,『季刊アステイオン』, No.15, pp. 60-83, 1990年冬.
「自立し分散した小集団がネットワークを介して協力する時代に」,『日経エレクトロニクス』、1996年4月8日号,no.659, pp.112-125.
「『理科離れ』嘆く前に――エンジニアの待遇改善を」,『日経産業新聞』、1999年4月23日付.
「今後の開発やマーケティングの鉄則、“ネットワーク外部性”の活用」、『日経マイクロデバイス』、2002年10月号、p.161.
「世界では“蚊帳の外”の日本」、『日経マイクロデバイス』、2003年8月号、p.151.
「『クローズドな摺り合わせ』か『オープンな組み合わせ』か」、『光産業の将来ビジョン』、4.2.14、pp.257-259、2004年11月.
「ちょっと気になるミュウジアム『適塾・大阪』」、『Kuramae Journal(東京工業大学同窓会誌)』、2005年4月号、pp. 34-36.
「エレクトロニクス、この30年の歩み」、『松下テクニカルジャーナル』、第51巻、第3号、pp.6-9、2005年4月.