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1942年5月 |
新潟県柏崎市(角栄・拉致・原発・少女監禁事件のご当地)生まれ |
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1975年3月 |
早稲田大学大学院文学研究科博士課程社会学専攻 単位取得満期退学 |
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1971年4月 |
(財)電気通信総合研究所 専任研究員 |
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1984年4月 |
成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科 助教授→教授 |
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1992年4月 |
東京大学社会情報研究所 教授 |
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2003年4月 |
東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科 教授 |
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2005年10月 |
早稲田大学政治経済研究科 客員教授(非常勤扱) |
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2006年4月 |
同上 客員教授(常勤扱)となる予定 |
学位は修士号のみ(「文科系に博士号は不要だ」というある時期まで有力だった−ありがたい−風潮に便乗する). あと付け加えるなら、僅か10年の勤続にもかかわらず東京大学から名誉教授の肩書きをいただいている.
大学院博士課程に在学しながら、最初に勤めた職場((財)電気通信総合研究所.その後分割され、現在は(財)国際通信経済研究所と鰹報通信総合研究所となっている)は、電話の積滞(電話の加入申し込みをしてもすぐ設置してもらえない状態)解消のめどが立ち始める一方で、情報化社会論が提唱され始めるという時代の転換を敏感に察知した電電公社(現在のNTT)を中核にして設立された、メディアと社会の相関をさぐる研究所であった.その後、上に見るように、結構、頻繁に職替えをしてきたが、この間一貫してやってきたことを、「専門分野」で記したこととは別のことばでいうとすれば「情報化関連諸動向の批判的検証」であったといえよう.
勤め始めてからの(批判的)論考の領域を、時代順に列挙すれば、情報メディア、コミュニケーション文化、情報化社会、ニューメディア、欧米メディア政策・産業、地域情報化、CMC(Computer-Mediated Communication) 、コミュニケーション・エンジニアリングといったものになるだろう.具体的業績のいくつかを以下示す.
・「メディア融合と人間行動」
(児島和人・橋元良明編著『変わるメディアと社会生活』ミネルバ書房 1996年刊 所収)
・「地域情報化政策の展開とその問題点」 (日本社会情報学会学会誌No.9 1997年刊 所収)
・「メディア性とメディア秩序」
(児島和人編 『講座社会学8 社会情報』 東京大学出版会 1999年刊 所収)
・「メディア変容と既存マスメディアの役割」
(放送学研究 No50 NHK放送文化研究所 2001年刊 所収)
・『コミュニケーション論』(武蔵野美術大学出版局 2002年刊)
・「マイクロソフトの<帝国>性」
(伊藤他編 『パラダイムとしての社会情報学』 早稲田大学出版会 2003年刊 所収)
・「ディジタル時代の放送世界−歴史的パースペクティブから」
(橋元良明・吉井博明編 『ネットワーク社会』 ミネルバ書房 2005年刊 所収)
正直言って、私自身のジャーナリズム論そのものへの関わりは、これまでのところ希薄だったといえ、むしろ、情報メディア技術と社会との相関を長年にわたって「批判」的に論じてきた私の研究・教育実践を、ジャーナリズム論的視点から改めて捉え直してみたら何が言えるか、というスタンスからの貢献をめざしていきたい.