早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース top line
これは2005年度から2009年度までのMAJESTyプログラムのアーカイブです
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第11回 MAJESTy セミナー 報告
「検証! 科学報道 ― 歴史的視点から未来を見据える ― 」
 

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 「科学報道に特有の難しさとは何か」と言う観点から科学報道を検証しようとMAJESTyプログラムマネージャー谷川建司教授司会進行により、第11回MAJESTyセミナーは開催された。
問題提起を一橋大学 御代川喜久夫教授が、事例報告を第一線で活躍する現役ジャーナリスト3名が行った。西日本新聞で、「検証 水俣病50年」を担当した斉田康隆記者、新潟日報で柏崎刈羽原子力発電所の検証企画「揺らぐ安全神話」を担当した仲屋淳記者、テレビ朝日で所沢ダイオキシン報道を担当した利田敏ディレクターである。
パネルディスカッションでは、早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムスクール プログラムマネージャーの瀬川至朗教授も加わり、活発な議論が展開された。

   
問題提起
   
科学報道が抱える問題3点とは 一橋大学 御代川 喜久夫 教授
   
  「科学(環境)情報のフィルタリング」と題し、御代川教授が問題提起を行った。御代川教授が問題としてとりあげたのは以下の3点であった。
(1) 科学的情報は、価値中立で確実であるという『神話』が蔓延している
(2) 専門家が発信する情報の中には、研究費獲得のため、注目を集めるためのものがある(メガホン科学)
(3) 公衆(一般視聴者・読者)の知りたい情報と専門家が出したい情報が異なる
御代川教授はそれぞれを次のような具体例で説明した。(1)水俣病の原因物質特定をめぐり、有機水銀説を裏付ける説明にも、また、否定する説明にも科学的情報は用いられた。科学的情報がいかに中立ではないか、不確実かを物語っている。(2)「多摩川の鯉がメス化する」という報道では、環境ホルモンがとりざたされた。しかし、その時すでに、イギリスでは同様の事例を環境ホルモンではなく、人間の尿に含まれる女性ホルモンの影響と結論づけていた。科学者が注目を集めるために情報発信を行った例である。(3)市民はナノテクノロジーに関して、「健康への影響に関する情報」を求めているのに、「技術のすばらしさに関する情報」を多く出している。報道者も、市民の知りたがっている情報より専門家が伝えたいと思う情報を伝えている、とデータを引用して指摘した。
ジャーナリストは、世の中に数多く発信される情報にどのようなフィルターをかけて一般市民に伝えるべきか。情報源が科学の専門家であるというだけで、すべてを鵜呑みにするのは危険で、情報の見極めが重要であるとした。
   
事例報告
   
記者が振り返る 「報道の罪」とは 西日本新聞社  斉田 康隆 記者
   
  「報道の罪」という思い切った演題を冠し、斉田氏は水俣病報道に関する事例報告を行った。
斉田氏が「報道の罪」とした事例は次の2点である。
(1)「伝染性の奇病」という報道が間違いとわかっても、強く訂正する報道をしなかった。
(2)「水俣病は終わった」という報道は、その後の被害拡大を防ぐ機会を減らしてしまった。
水俣病報道は、1956年「伝染性の奇病」という第一報から始まった。伝染病ではなく中毒症だとわかってからも、強く否定する報道をしてこなかったことは罪だという。一旦報道したことを強く否定しない慣習はメディアが現在も抱える悪しき体質の一つだと指摘した。
一方、「メディアの罪」と一概に言えないのが(2)の事例である。1959年、水俣病発生から3年後に、チッソはサイクレーターというほとんど形だけの浄化装置を作った。加えて、不当に低い見舞金制度を作った。そのとき報道は「水俣病は終わった」と終息宣言をした。しかし、水俣病の患者は増え続けた。有機水銀汚染は終息していなかったのだ。
当時の水俣病報道を担当した記者は「とにかく地元では、『水俣病を早く終わらせたい』と言う雰囲気が圧倒的に強かった。取材をそれ以上続けるのは難しかった。」と当時を振り返ったという。水俣病50年の昨年でさえ、報道が増えたことで、水俣への観光客は激減した。風評被害である。「市民のため」の報道が、市民を苦しめる力をもあわせ持つとき、どのように報道したらよいのか。「まだ答えを見つけられずにいる」と日々報道を続ける斉田氏は語った。
   
検証企画報道を通じて知る「科学報道」とは 新潟日報社  仲屋 淳 記者
   
  柏崎刈羽原発の安全検証特集記事(http://www.niigata-nippo.co.jp/rensai/n78/n78.html)をもとに、仲屋氏は事例報告を行った。この特集は、「なぜ軟弱地盤といわれる場所に原発が建てられたのか」を解明するためのものであった。原発の誘致、安全審査、建設など、原発そのものの立地の経緯を検証した。検証は議事録の不備もあり難航したという。仲屋氏は事例報告の中で、科学報道の難しさとして次の2点を挙げた。
(1) 原発報道は科学問題であると同時に社会問題である。
(2) 原発に問題が生じたとき、即座に大きく報道すべきかの判断をすることが難しい。
原発問題は科学、法律、政治、社会という多面的な視野から報道される。それぞれの分野の専門家はいても、すべてを把握している人は不在なのではないかと仲屋氏は指摘した。また、電力会社からの発表が本当なのか見極めるのは大変難しい。電力会社と報道の間にたってもらう人が欲しい。科学技術ジャーナリストが養成されてくることに期待している。
   
テレビというメディアが抱える特性ゆえの「科学報道」の難しさ テレビ朝日 利田 敏 ディレクター
   
  所沢ダイオキシン報道を担当した利田氏は、所沢産 葉物野菜のダイオキシン含有量を報道したニュース映像を上映した後、「テレビは映像と音で印象を残すメディアである」とテレビのメディア特性を分析した。さらに、テレビ報道が受ける制約について、「市場原理を無視した番組は作れない」「活字メディアは読み返すことができるが、テレビは巻き戻して確認できない」「映像情報がなければ伝えにくい」という3点を挙げた。
この制約のなかで、利田氏はダイオキシンの怖さを、化学式を一切使うことなく、焼却炉の毒々しい煙が畑を直撃するという映像で表現した。この映像は視聴者の印象に深く残り、所沢野菜の不買行動を一気に加速させてしまった。利田氏は、後に問題とされた、葉物野菜(実際にはせん茶)1 g中に3.8 pg(1pgは1兆分の1g)のダイオキシンが含まれるという科学情報を、ある程度専門家に任せてしまったことを反省していると当時を振り返った。
   
パネルディスカッション
   
 

後半のパネルディスカッションでは活発な議論が展開された。「読者あるいは視聴者のニーズをどう汲み取ってニュースとしていくのか?」という会場からの質問に対し、自分の感覚を一般読者に近づけるよう努力をしておき自分が面白いと思うかどうかで判断する、ニュースの成立条件は「新しいこと、珍しいことにつきる」など、現場の本音を聞くことができた。
「テレビ報道に関わっている人たちは、放映された途端に報道内容は消えてなくなるという意識を持っているようだがそれは事実とちがうのではないか」(瀬川教授)といった議論も聞かれた。
ジャーナリズムとアカデミズムが一同に会したからこそ巻き起こった議論も多く、ジャーナリズム教育が大学で活性化しつつある意義を感じるセミナーであった。アカデミズムが提起する問題点とジャーナリズムが感じる問題点の違いが大きければ大きいほど、議論を続ける必要がある。また、ジャーナリズムの現場が期待する専門ジャーナリストとしての科学技術ジャーナリストの像が浮かび上がるセミナーでもあった。OJTではなく大学院という教育機関で行う科学技術ジャーナリスト養成について考えさせられるセミナーとなった。

(大石かおり)

関連記事

  • 「科学情報の見極め方で討議―早大院が報道セミナーを開催」(2008年7月29日)『新聞協会報』3面
  • 日本科学技術ジャーナリスト会議 会報【48号】2008年9月発行


関連情報

  • 2008年9月3日、新潟日報社長期連載企画「揺らぐ安全神話 柏崎刈羽原発」と関連ニュース報道が2008年度新聞協会賞を受賞することが決定いたしました。
   
御代川 貴久夫 (みよかわ・きくお) 一橋大学大学院社会学研究科教授
  1949年生まれ。1975年東京教育大学理学研究科修士課程修了。1980年理学博士(筑波大学)、1985から1987年までカルガリ大学博士研究員。2000年より現職。2006年よりMAJESTyプログラムで「科学技術報道史」を担当、現在にいたる。現在の専攻は環境科学、環境教育。ここ数年は科学(環境)情報に関係する仕事をしている。「環境教育を学ぶ人のために」を世界思想社から今秋出版予定。
   
斉田 康隆 (さいた・やすたか) 西日本新聞社 東京報道部
  1967年、福岡市出身。1995年、西日本新聞社入社。北九州支社、筑豊総局、社会部などを経て、2007年8月より東京支社報道部。これまで旧産炭地、防衛問題などを取材。2006年、社会部の水俣病企画取材班の立ち上げとともに参加。年間企画(「検証 水俣病50年」)は2006年度の新聞協会賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。共著「水俣病50年 過去に未来を学ぶ」。現在、国土交通省を担当。
   
仲屋 淳 (なかや・あつし) 新潟日報社 報道部
  1971年生まれ。1994年新潟日報社入社。現在の担当は報道部遊軍。報道部では新潟市政、県政担当を経て2002年4月から2年半、柏崎支局に勤務。東京電力柏崎刈羽原発でのプルサーマル計画実施の是非を問う刈羽村での住民投票、東電トラブル隠し問題などを取材。2007年7月16日発生の中越沖地震後は柏崎刈羽原発取材班に加わり、今年6月まで連載企画「揺らぐ安全神話」を担当した。
   
利田 敏 (としだ・さとし) テレビ朝日
  1962年東京都生まれ。1985年東京大学理学部卒。テレビ朝日入社。ワイドショー、バラエティーなどのディレクターとしてテレビ業界のノウハウを吸収1994年に「ザ・スクープ」担当になって"ジャーナリスト魂"に目覚め、「水鳥の鉛中毒大量死」「風船公害」「高圧線の電磁波でがんになる」「オウムの闇」など問題作を次々放送。特に「ダイオキシン汚染シリーズ」は反響が大きく、1997年にニュースステーションに異動になってからも定期的に放送。1999年2月に放送した「所沢ダイオキシン」は、ご存知のとおりの問題作となった。 2002年からはニュースデスク(「太陽にほえろ!」でいうと、石原裕次郎。現場に出ずに、若手のディレクターに指示を飛ばす仕事)。
*所沢のダイオキシンが裁判になったころ、突如として「サンカ」研究に目覚め、週末のたびに一人でフィールドワークに出かける。
   
瀬川 至朗 (せがわ・しろう) 早稲田大学政治経済学術院 教授
  大学院政治学研究科ジャーナリズムコース プログラム・マネージャー 元毎日新聞編集局次長
担当授業:生命倫理、科学コミュニケーション実習4
   
谷川 建司 (たにかわ・たけし) 早稲田大学政治経済学術院 教授
  映画ジャーナリスト、科学技術ジャーナリスト養成プログラム プログラム・マネージャー
担当授業:メディア産業論、メディア制作実習2、インターンシップ