Jオピニオン
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山本 武利 (Taketoshi Yamamoto)
早稲田大学政治経済学術院 教授
〔2008年2月寄稿〕
Jスクールの挑戦
14世紀のグーテンベルグ革命以降、書籍、雑誌、新聞といった魅力あるメディアが生まれた。近代にいたって映画、ラジオなど非活字メディアが現れたが、活字メディアの王座は脅かされなかった。ところが半世紀前に誕生したテレビは1975年に広告収入で新聞を凌駕し、年々その差を広げた。だが新聞はテレビ欄の拡充でテレビ時代に適応して、それなりの部数を維持してきた。またテレビの成長性に着目した新聞資本はこの新興メディアに積極的に参入し、テレビの囲い込みに成功した。つまり新聞・テレビの共同体が経済成長に比例して増加した広告費を吸収した。
だが20世紀から21世紀にまたがるこの20年間に急台頭したデジタル・メディアは活字メディアに根源的な危機を与えている。活字・放送のアナログ・グループは国家から得た既得権や過保護に甘えたビジネス・モデルに安住し、肥大化した広告市場を独占していたため、自らの存在基盤がデジタル・メディアに侵食されていることにとんと気がつかなかった。ライブ・ドアによるニッポン放送・フジテレビの買収劇は失敗に終わったが、TBSは楽天の買収攻勢に有効な対抗策を出せないままである。もはや繁殖するデジタル・メディアという猛禽類の餌食になりつつあるのが、マンモス化した既存のアナログ・メディアである。
産業界の広告需要に対応できるメディアがその時代の覇権を握ることをメディア史は物語っている。新聞、テレビの順にこの近現代を支配してきたが、今やデジタル・メディアがインタ―ネットを主軸として、メディアの玉座に迫ろうとしている。何よりもマーケティング・ターゲットとしての効率性で、また小回りの良さ、さらには送り手、受け手のフィードバック化といった点で、デジタルに太刀打ちできるアナログ・メディアはない。
私の主宰する20世紀メディア研究所では占領期新聞・雑誌情報データベースを構築し、2002年からウェッブで公開している。デジタルで瞬時に検索した記事を、アナログの安定した紙面からハードコピーし、好きな時、好きな場所でじっくり読みこむ。つまり両者の特性を生かせば、デジタルとアナログは共存していけると思っている。
しかしこのままの勢いではアナログからデジタルへの業界人の流動化は進む。この歴史的な構造変動に対処するのが、わがJスクールである。まず批判力、分析力の衰弱化したジャーナリストに専門知を注入し、多元的ながら玉石混淆のデジタル・メディア情報への判別力を養成し、専門ジャーナリストとして再生させる。記者クラブに飼殺しされかけていた記者にインテリジェンス・リテラシーを授け、隠匿する情報を権力から引き出し、オーディエンスの知る権利に応える。権力者の繰り出すプロパガンダの謀略性を暴けるだけのプロパガンダ・リテラシーを身につけさせる。また日本や日本語の園内にしか及ばなかったジャーナリストの視野をアジアさらには世界に広げさせる。一方、世界から日本へ若いジャーナリストの卵を引きよせ、日本人と交流させ、日本、世界に詳しいジャーナリストを養成する。
もちろん本スクールは新しいジャーナリズム時代を対象とする研究者の養成も図っている。独創的なディシプリンで新領域を開拓する研究者を輩出させ、国内外の学界に供給することになろう。
この時代の大転換期に誕生するJスクールは日本最初のスクール・オブ・ジャーナリズムとして、日本いや世界のメディア界の期待に応えるべく、さまざまな挑戦を行うことになる。