J-Schoolでの12年を振り返って
環境・エネルギー研究科 教授
吉田 徳久
 

(左)震災後の2011年春の初ゼミでの記念撮影。(右)2015年3月の学位授与式の後の記念撮影(写真提供:吉田先生)
 
 私は2007年に環境・エネルギー研究科に採用され、翌2008年に発足したJ-Schoolから兼担辞令をいただきました。2000年代後半のわが国の環境論は、百花繚乱・百家争鳴と形容できるほど盛んでした。地球温暖化懐疑論もこの時期に隆盛を極め、早稲田界隈の書店の店頭には懐疑論の書が平積みされていました。市民の間には「環境保全は一人ひとりの心がけから!」と、ふろしき、湯たんぽ、マイカップ、マイ箸、自転車等をエコグッズとして持て囃すシャローなエコブームが起きました。
 
 ですから、J-Schoolでも修士論文のテーマに環境を取り上げる院生が多い時代でした。研究指導をお引き受けしたJ-Schoolの学生さんと、私の本属の環境・エネルギー研究科の学生さんは、ゼミも研究指導も合宿も飲み会もいつも一緒で、エコブームに流されない真剣な議論が交わされました。J-Schoolの学生さんの気質は、なべて政治的な臭覚が鋭く、何事にも個性的な主張を携え、怖気ない度胸をお持ちであるといったものでした。留学生が増えた時期で、私の指導学生の中にも中国留学生が大勢おられました。急速に進展する中国の環境政策を、留学生を通じてリアルタイムで把握でき、それをまた研究・教育に取り入れることができて、私にはとても幸いでした。
 
 しかし、2011年3月の東日本大震災を境に、原発事故への対処と震災からの復興が最重要の課題になり、環境論議と環境報道は衰退しました。震災後の環境政策もいわば“半鎖国”状態で、国際環境枠組の構築の動きを的確にキャッチアップしてこなかった感があります。2015年のパリ協定採択前後から発効後の累次のCOPでの対応や、2018年の海洋プラスチック憲章への対応にそれが端的に表れています。一方、マスコミの環境報道は、グレタさんと小泉環境相の登場で、昨秋以来やや活性化しましたが、内容は国際世論の受け売りで、わが国オリジナルの視点や立論の彫り込みを欠いているように思えます。
 
 環境を巡る論議と報道のあり方に、時には首を傾げながら12年を過ごしてきましたが、3月で定年退職します。J-Schoolの全ての教職員と、師事してくれた卒業生の皆様に心からお礼を申し上げます。残念なことに、今年は新型コロナ・ウィルスのパンデミックで卒業式・入学式が中止され、恒例の大隈講堂前での記念写真の撮影風景はみられませんが、過年度に研究室メンバーと撮った二葉を、懐かしい思い出としてアップし、お別れのご挨拶とします。ありがとうございました。
 
同窓会報第11号記事
2020.3.20配信