Jオピニオン
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河野 勝 (KOHNO, Masaru)
早稲田大学政治経済学術院教授
(写真は米Virginia州Montpelier にて、J・マディソンとともに)
〔2012年1月29日寄稿〕
ジャーナリズムと政治、ジャーナリズムという 政治
リベラリズムやマルキシズムなど、すべての「イズム」がそうであるように、ジャーナ
日本では、このことがよく理解されてないのはないか。逆に、日本では、ジャーナリズムは政治的に中立でなければならない、と考えている人が多いように思う。その考えは、間違っている。
たとえば、民主化が成功したばかりのある国で、初めて選挙が行われたとしよう。ところが、有効投票を確定する選挙管理人が選挙結果を発表するプロセスを、旧政権の残党が暴力や賄賂を使って妨害しようとしたとする。このとき、ジャーナリズムは、その事実をありのままに報道しなければならない。そのような報道が、政治的に
ジャーナリズムという主義ないし思想がその中核に抱く価値は、政治的中立性ではなく、独立性、つまりどのような圧力からも独立して存在するということでなければならない。どのような圧力からも独立しているという条件が整わなければ、事実を事実として取材するということも、真実を真実として伝えることもできない。上記の例では、選挙妨害を報道すること自体に対し暴力や賄賂を使った妨害が起こる可能性があるが、ジャーナリズムには、そのような圧力から独立し、文字通り命をかけて報道を続けるという覚悟とコミットメントが要求されるのである。
ジャーナリズムは、それ自体が主義主張なので、民主
いうまでもないと思うが、新聞社やテレビ局で雇用されていることが、ある人をジャーナリストにするのではない。ジャーナリストとは、ジャーナリズムという主義主張、あるいは政治思想ないし政治運動にコミットしている者を指す。たとえ○○新聞の記者であっても、その人は○○新聞からも独立していなければ、ジャーナリズムを貫くことはできないのである。